前回までのあらすじ
アマチュア史上最強のボクサー三浦国宏が賄い付きの仕事にこだわっていた理由が、以前築地のマグロ屋で働いていた時『賄いが毎日大好物のマグロだったから』という衝撃の告白を受け、業種によって賄いの内容は変わることをなんとか理解させた味玉。
改めて業種を広げ仕事探しをするうち、新聞配達員を仲介する人材紹介会社の社長「吉岡さん」に巡り合う。
親切な吉岡さんは、配達先の住所が覚えられるか心配している三浦の不安を解消するため、わざわざ味玉たちの住む江東区まで足を運んで説明してくれると言うのだ!
果たして三浦は無事、新聞配達の仕事に就き、期限までに味玉の家を出ることが出来るのだろうか…
三浦国宏 50男・規格外の就活
第5話 振り出しに戻る
2月22日金曜日 合宿4日目
仕事を終え帰宅した三浦とGoogleマップで明日の現場の住所を確認していると程なく、インターフォンが鳴り吉岡さんの到着を告げた。
Kには『大切なお仕事のお話だから…』と言ってタブレットを持たせ寝室に向かわせた。
「すみません吉岡さん。こんなアホな奴のためにわざわざ国分寺からご足労いただいちゃって…」
迎え入れた味玉に、値段の張りそうなコートを脱ぎながら吉岡さんは爽やかに笑って答える。
「大丈夫ですよ。いつもこんな感じです…こう言っちゃなんですが、住み込みで新聞配達やろうなんて人はワケありの人が多いんですよ…今日の寝床すらないなんてザラです。仕事が決まれば、寮に入るまでホテル代を貸してあげることだってあります」
「へぇ!そこまでやるんですか…すごいですね」
味玉は、吉岡さんのコートをハンガーにかけながら、その徹底した対応ぶりに舌を巻いた。
もちろん求職者が採用されれば紹介料が得られる。利益をあげるため仕事としてやっていることなんだろうが、ホテル代を握りしめたままトンズラされる危険性だってあるのだ。
この人は必ず成功するだろう。
起業家には、行動力やアイディアも大切だが、最も重要なのは意思や理念だ。吉岡さん自身も新聞奨学生から苦労して起業したと聞いている。
おそらく、自分と同じように何らかの事情で経済的、社会的に困窮した人を手助けしたい、自分を育ててくれた新聞配達業界にも貢献したい、という想いがその根底にあるのだろう。
いくら頭がキレて斬新なビジネスモデルを考え出したとしても『儲かればなんでもいい』などというスタンスで起業すると継続はしない。
ビジネスで成功するには『揺るがない哲学』が必要なのだ。
ダイニングテーブルに座り、三浦が吉岡さんからレクチャーを受けている間、味玉は夕飯の準備をする。
食材の余分な買い置きはないため、吉岡さんのおかずは昨日の余り物なども使い適当に作った。
ひと通り説明が終わった頃に夕飯の支度ができたので揃って食卓に着いた。
「どうです?会長、新聞配達できそうですか?」
「ん〜そうですねぇ、やってみようかなぁ…」
「ホントですか?!いや〜良かった良かった。吉岡さん、ありがとうございます!」
「いえいえ。三浦さんならきっと優秀な新聞配達員になれますよ。どうです?実は今日面接してもいいって言ってくれてる販売所が浦安にあるんですよ。良ければ行ってみますか?」
モノ凄い手回しの良さだ。
「え?!マジすかポリス?!いいじゃないですか会長!メシ食ったら行ってきてくださいよ」
そうして2人を送り出し、味玉は胸をなでおろした。
(ふぅ…これでなんとかなりそうだ…良かった)
2時間ほど後
三浦から電話があり、トラックの運転手として採用されたと不可解な連絡が入った。
聞けば、その販売所の所長さんは佐川急便の下請けの運送屋も経営をしていて、丁度ドライバーを探していたとのこと。8tの免許を持っている三浦をドライバーとして採用したいらしい。
「へぇ…良かったですね…でも、新聞配達ですら配達先が覚えられるか不安だったのに、毎日届け先が違う宅配の仕事なんてできるんですか?」
「そうなんですよねぇ…だから明日も別の新聞販売所に面接に行くことになりました。場所は木場駅ですって。吉岡さんが言うには、そっちの方が私に合ってるんじゃないかって」
「そうなんですね…じゃ明日まで保留か…」
翌23日土曜日 合宿5日目
今日の三浦の現場は、運良く木場公園の近く、味玉の現場も通り道になるので途中まで一緒に出勤することにした。
仕事が終わったら待ち合わせをし、一緒に面接に行く約束をして別れた。
日中吉岡さんに電話して話を聞いたところ、なんでも木場にあるその販売所の所長さんは、購読者拡大のため度々集客イベントを開催しているらしい。
元オリンピック選手の三浦に大変興味を覚えていて、ボクシング教室などやれば結構な集客ができるのでは?と考えているそうだ。
モノ凄くいい話である。
そこで実績を挙げれば給与にも反映されるし、コツコツ頑張ってお金を貯めれば、そこで育てたファンを会員候補に見込んで、またジムを開くことだって夢じゃない。
三浦と待ち合わせして木場駅に向かうまでの間、味玉は「もう四の五の言わずに今日の新聞販売所にお世話になりなさい」と強く説得した。
しかし三浦は何やら上の空である。体調でも悪いのかと気になったが面接の時間が迫っていた。吉岡さんと駅前で落ち合い、そのまま3人で販売所に向かった。
所長さんからひと通りの説明を受け、実際に使用している配達用のアンチョコも見せてもらった。
配達すべき部屋が色付けされたマンションの郵便受けの配置図や、外国人でも分かるよう道順やポストの色などが記号や略字で書かれた小冊子もある。
それに1人で配れるようになるまで先輩配達員がサポートしてくれるそうだ。
これなら、なんとかなりそうだ。
しかし、三浦はなぜか浮かぬ顔、テンションが異様に低い。所長さんと三浦が店舗の3階にある寮を見学している間、面接室に残った味玉は吉岡さんに質問してみた。
「吉岡さん、昨日の面接の時も三浦はあんな感じでしたか?なんだか、やけにテンションが低いんですが…」
「確かにそうですね…昨日は、もう少し元気があったような…でも、あれじゃないですかね、ほら、昨日はご飯食べてから面接行ったじゃないですか。今日はお腹が空いていて元気ないとか」
「そ、そんなことは……いや、あり得ますね、あはは…」
味玉は、そう答えながらも思った。
(いやいやいや…欠食児童じゃないんだから…酒が飲めなくて元気ないならわかるけど…)
親切に対応してくれた所長さんに、丁寧に頭を下げ販売所を出る。少し離れた大通りまで来たところで三浦に聞いてみた。
「どうです会長、所長もいい人そうだし、あれなら配達の仕事も出来そうじゃないですか。寮も空いてたし決めちゃってくださいよ」
しかし、三浦はテンションが低いままこう言った。
「いやぁ…やっぱり新聞配達は無理ですよ。配達先覚えるのもそうですし、どうもあの、ちょっと働いて仮眠して、またちょっと働いて、っていうのがねぇ…」
散々世話をしてくれた吉岡さんの恩情を無に帰す発言に、いい加減キレかかった味玉は、強い口調で三浦を問いただす。
「何を贅沢なことを…じゃ、宅配ドライバーにするんですか?!そっちの方が、道に迷った挙句、届け先を間違ったりして破茶滅茶なことになりそうですけどね!」
「あっちもねぇ…考えてみると、あのホレ、機械でピッピってやるやつ?あれ出来ないんですよね…だから前に佐川でバイトした時も助手席の横乗りしかやらせてもらえなかったし…」
「……」
あまりの我儘、あまりの身勝手さに、本気で殴りたくなった。いや、パンチは避けられてカウンター喰らうから、ハイキックでも出そうかと思ったが、グッとこらえ
「吉岡さん、すみません。一旦家に戻って三浦と話してみます。今日のところは保留にして持ち帰らせてもらえませんんか」
吉岡さんも流石に残念そうにしていたが、すぐに切り替え快く了承してくれた。
2月24日日曜日 合宿6日目
あの後話をしたが、結局三浦の意思は変わらず、やはり寮・賄い付きの土方の仕事を探すということで落ち着いた。
そもそも、建築系は、天候や現場の繁閑で仕事にあぶれる日があるから安定した仕事を検討していたのだが、深夜の牛丼屋とかでバイトするからそれでも構わないということだった。
味玉の自宅の近所に、6畳風呂無しトイレ共同のアパート月額2万3千円という物件を見つけ、今日下見に行く予定だったが、それもキャンセルした。
敷・礼金は無いのたが、最初に支払う初月と翌月の家賃、火災保険料、仲介手数料、退居時の清掃料諸々を合計すると10万円程用立てなければならない。今の三浦にはキツイ。
味玉は、半ば嫌気がさし『ジムに行くから自分が帰るまで、どこかで時間を潰してくれ。コンビニでタウンワークでも貰ってきて仕事探しをすればいいんじゃないか?』と言って三浦を家から叩き出した。
ジムでは、久しぶりに厄介ごとを忘れ、いい汗をかいた。
気を持ち直し、明日からまた仕事探しだ。
2月25・26日 合宿7・8日目
月曜日
振り出しに戻り、寮・賄い付きの建築系の仕事を探し、5社ほどメモにした。
その日の夜、休憩中に電話するよう言って三浦に渡す。
火曜日
三浦と夕食を摂りながら結果を聴くと、そのうちの1社、白澤建設という会社の面接を受けることになったという。
さっそく明日の仕事終わり、社長である白澤さんと18時に船堀で待ち合わせだそうだ。
先方も乗り気で、今回は上手くいきそうだと自信満々に三浦が語る。
「へぇ…そりゃ良かったですね。でもウチに居られるのも今日含めてあと3日しかない。決まればいいですけど、もう後がないんですから頑張ってくださいよ」
味玉は内心(流れ的にもうひと波乱くらいあるのがお約束だよなぁ…)と思いながら、嫌味タップリに激励する。
「はい、頑張りますよぉ〜!ところで明日の現場どうやって行けばいいのかなぁ…確か、ナンとか桜ヶ丘って駅に7時集合なんですよ」
「は?ナンとかじゃ分かんないですよ。ナニ区ですか?」
「区じゃなくて市だったな…えーっとポチじゃなくて、ハチでもなくて…」
「もしかしてタマ…いや、多摩市すか?」
「そう!その多摩市!そんでナンとか桜ヶ丘!」
「会長、それ多分ね、聖蹟(せいせき)桜ヶ丘。確かジブリ映画の舞台にもなった聖地ですよ」
「お!いいですねぇ、マグロも好きですけどブリも好きですよ」
「そのブリじゃなくて、ジブリっていうのはね…いや、そんなことより大丈夫なんですか?18時面接ですよね?間に合います?」
「大丈夫です。いつも早く終わる現場だって言ってたし、急いで行けば楽勝っすよ!押忍押〜忍!」
ネットで電車の時間を調べると、早くても1時間、乗り継ぎが悪ければ1時間半ほどかかる場合もある。
現場が駅からどれくらい離れているか知らないが、遠ければその時間も見ておかなければならない。
「 ねぇ…この時間じゃもう迷惑だから、明日の昼休憩の時にでも白澤社長に電話して、現場の終わり仕舞いによっては少し遅れる可能性があるって伝えといた方がいいんじゃないですか?約束の時間に遅れたら印象悪いでしょ?」
「チョっちゅね!わっかりましたぁ〜!電話しまーす!押忍!押〜忍!」
ダメだ…
酔っ払ってきた…
今日はもう何を言っても無理だな。
2月27日 水曜日 合宿9日目
三浦がちゃんと電話したかどうか不安であったものの、この日の味玉の現場はコンクリート打設の日だったため三浦を気遣っている余裕はなかった。
朝礼前からポンプ車を搬入しミキサー車を30台以上搬入出、コンクリートが打ち終わり、ポンプ車が現場を後にすると既に17時に近かった。
念のため三浦に電話をかけるも出ない。
移動中だろうか?
時間をおいて何度かかけるもやはり繋がらない。
味玉は、なんとも言えぬ不吉な予感が込み上げてきたが、どうすることもできない。
ま、ケ・セラ・セラ
なるようにしかならないさ♬
と、Kの待つ自宅へ向け自転車のペダルを踏み込んだ。
第6話に続く
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